2011'08.12.Fri
-今日は忙しかった?
まあね、School Of Rockの子供達を観に行ってたんだ。小さい子供達がWhisky A Go-Goってクラブでね、カバーソングをやってたよ。
-いいね!あれのドキュメンタリーを観たことがあるよ。あなたが音楽と出会ったきっかけは?
両親を通してだね、二人とも家でたくさんの音楽を聴いていたから。良くある話さ、両親がかけていたBeatlesを聴いて-そうやってロックを知ったんだ。
-ご両親があなたに音楽をやるように勧めたの?
いや、全くだね。二人とも親としても人としてもとても寛大なんだけど、そもそも特に勧められたわけじゃないよ。 ギターを持っていなかった頃、ずっとねだっていたんだけど、親は買ってくれなかったんだ。広告を見て探したりしていたけど、とても手が届かなくてさ。親にその余裕があったかどうかもわからないけど。家の向かい側でガレージセールで40ドルで売っているのを見つけたんだ。チューナーも何も付いていなくて、完全にボロボロだったけどね。そのギターを弾ける状態にするため、小遣いだの何とかかき集めた金だのを毎週貯めて、ただ弾けるようにするために数ヶ月もかかったよ。自分の部屋でやることと言えば、それをどうにか使えるようにするためコツコツと直すことだった。俺は音楽にのめり込み始めた。両親はまあ俺に大学に行ったりとかして欲しかったんだけどね。
俺が世界中をツアーすることが何度かあるうちに、両親も俺が何か自分の人生にとって価値のあることをやっているらしいっていう考えになってきたんじゃないかな。今では両親も明らかにある程度は誇りに思ってくれているよ。今でも時々、なんで稼げないの?みたいな目で見られたりするけどね(笑)。
-あなたの家系はイタリアの血が入ってるの?
ああ、イタリアに、オーストラリアに、イギリスもね。
-イタリアにはよく行く?
何度か行ったことがあるよ、もっと行きたいところだけど。向こうに移住することも考えたりするけど、まあありえないね。俺が知ってるようなロックシーンはあまりないんじゃないかな、もしかしてあるのかな?それにイタリア語も話せないしね。でも最終的には行き着くことになるような気がするんだ。
-私が大好きなバンドはイタリア出身よ。Il Torquemadaっていうんだけど知ってる?
知らないな。リンクを送ってくれよ。
-勿論よ。イタリアの文化について好きなことはある?
ほとんど全部さ!とにかく食べ物は最高だし。向こうの生活全体が、多くの点においてアメリカの文化よりもゆったりしているよね。ヨーロッパの文化全般、住民の扱い方だとかヘルスケアだとかそういったこと-人権に対する基本倫理や人々への待遇は、アメリカよりもずっと俺の感覚に沿っているよ。
-東ロサンジェルスで育って、どんな文化や音楽に囲まれていた?
俺が育った所においては、何て言うか寄せ集めだったね。インターネットがなかった頃だから、みんな何もわかっていなくてさ。手に入れられる曖昧な情報にしがみつくしかなかった。レコードを聴かせてくれる兄か何かがいない場合は特にね。レコード屋で骨折り損をするしかないんだよ。レコード屋に行って、まあ友達に何か言われたとかジャケットがいけてるとか・・でも、あれは発見の時代の全盛期だったよ、最近はほぼないからね。何かを発見し、それが自分にとって本当に大事なものになるのさ。
奇妙だったのは、東ロサンジェルスの俺が住んでいた町は、南パサデナに隣接したハイランドパークって所で・・・南パサデナはほとんどが白人の、金持ちばかりの地域なんだ。1957年って感じなんだよ。ソーダファウンテンとか、アメリカ文化満載って感じの-Back To The Futureみたいな所だよ。俺は金持ちの奴等と一緒に南パサデナの高校に通ったんだ。いい学校に行けるようにって、家の住所をごまかしてさ。俺が住んでいた所はもっとヒスパニック系の奴等が多くて、そういう奴等はギャングスター・ラップやスラッシュメタル、あるいはやたら速くてヘヴィーなパンクのどれかにはまっていた。バックヤード・ショウによく行ったもんだよ、そんなのばっかりだった。誰かん家にでかい庭があれば、バンドを用意して、さあやろうぜ!ってね。
近所の奴等は既に目を付けられていたから、警察もしばらくは様子を見てるんだけど、警官達がやって来る前にいくつのバンドが観られるだろうっていうのがお楽しみなんだよ。 大抵5つか6つだったな、何故なら全部パンクバンドだったからね、全部速い音楽さ。多分みんながやたら速く演奏したり曲がやたら短いのは、迫り来る警官達の存在が関与してたんじゃないかと思うよ。ステージに上がって、やるだけやったらステージから降りて、また別の奴が演奏して・・そんな感じさ。
-あなたは音楽を作る上でGuns N’ Roses、Born AgainstやCaptain Beefheartに触発されたらしいけれど、そういう特定のアーティストがあなたを触発したものとは何だったの?
俺にとってのGuns N’ Rosesというのは、それまでに色んな音楽を聴いてからだね。俺が彼等に興味を持つには、まだすごく若かったからさ。DJ Jazzy Jeff & The Fresh Princeの「kid rap」やMichael Jackson、正にメインストリーム全盛の時期で、俺は子供だったし知らなかったんだ、他にどんな音楽があるかってことを教えてくれる兄もいなかったしね。俺がロックに興味を持ち始めて、それを探求しようとし始めていた頃に、地元のラジオ局でGunsがかかって-俺はDef Leppardのテープなんかを持っていて、確か12才だった、全てのことが起こり始めた時にね。Gunsはどこよりも先にLAでビッグになった。俺は「Welcome To The Jungle」をラジオで聴いて、それが彼等の曲だとも知らなかった、DJは何も言わなかったんじゃないかな。でも俺はそれがGunsに違いないと思ったんだ、見た目通り音もクールだぜ、ってね。クリスマスにギフト券を貰うと、俺は彼等のテープを買いに行って、そしてそれは俺がそれまで学習して来たことをその瞬間にその場ですっかり終了させてしまったよ。俺はテープを100万回も聴いて、母親に4・5回は捨てられたね。そして俺はレコード屋に行ってまたテープを買い、家に持って帰るのさ。
Born Againstは高校生の時にはまったね。当時はずっとパンクロックを聴いていたけど、彼等のメッセージやサウンドは本当に・・・ハードコアパンクという意味では、本当にパンクロックを超えていると思えたんだよ。彼等を聴き、そしてはまってから、その手の音楽はもうあまり聴かなくなった。そんな風に好きになれた最後のバンドだね。とにかく最高だ、それだけだよ。
Beefheartはその少し後だね。それまで他のものに向けていた愛情が全部持って行かれたし、ロックはアートになり得る、それもインテリの美術学生でなく、不毛の地に住む負け犬であってもそれが出来るってことを教えてくれた。ロックとアートの境界を越えることが出来るってことをさ。
-どのようにしてパフォーマンスをするようになったの?最初のギグについて聞かせて。
すごく若い頃からパフォーマンスを始めたよ、楽器さえ弾けない頃からね。弾けるかどうかなんて気にしなかった。楽器をわかろうともしない友達を説得してさ、Wild Thingみたいなタイトルの下らない曲をプレイしてたんだ。俺達の楽器から音が出せれば何だっていいのさ。初期のパフォーマンスの一つを憶えてるんだけど、ベースプレイヤーの親のガレージでやったんだ。学校の奴等をみんな呼んで、ライトをセットし10曲を練習して・・・ドラマーが直前になって怖じ気付いちゃってやって来なかったんだよ。俺達はそこにいて全てのものを準備して、友達みんなの前でプレイ出来ることに本当にわくわくしていて、間もなくみんなやって来るはずだった。
俺は向かい側に住んでいる高校生がドラムをやるって聞いていたのを思い出して、知り合いでさえなかったけど、彼の家まで行って言ったんだ、「実はさ、友達みんな観に来るのに、俺達のドラマーが来ないんだよ、君がプレイしてくれない?」彼は「いいよ、何の曲をやるんだい?」俺達は練習さえしなかったけれど、全曲やってのけたんだ。最高だったね!
http://www.collapseboard.com/features/interviews/joe-cardamone-icarus-line-the-collapse-board-interview/
まあね、School Of Rockの子供達を観に行ってたんだ。小さい子供達がWhisky A Go-Goってクラブでね、カバーソングをやってたよ。
-いいね!あれのドキュメンタリーを観たことがあるよ。あなたが音楽と出会ったきっかけは?
両親を通してだね、二人とも家でたくさんの音楽を聴いていたから。良くある話さ、両親がかけていたBeatlesを聴いて-そうやってロックを知ったんだ。
-ご両親があなたに音楽をやるように勧めたの?
いや、全くだね。二人とも親としても人としてもとても寛大なんだけど、そもそも特に勧められたわけじゃないよ。 ギターを持っていなかった頃、ずっとねだっていたんだけど、親は買ってくれなかったんだ。広告を見て探したりしていたけど、とても手が届かなくてさ。親にその余裕があったかどうかもわからないけど。家の向かい側でガレージセールで40ドルで売っているのを見つけたんだ。チューナーも何も付いていなくて、完全にボロボロだったけどね。そのギターを弾ける状態にするため、小遣いだの何とかかき集めた金だのを毎週貯めて、ただ弾けるようにするために数ヶ月もかかったよ。自分の部屋でやることと言えば、それをどうにか使えるようにするためコツコツと直すことだった。俺は音楽にのめり込み始めた。両親はまあ俺に大学に行ったりとかして欲しかったんだけどね。
俺が世界中をツアーすることが何度かあるうちに、両親も俺が何か自分の人生にとって価値のあることをやっているらしいっていう考えになってきたんじゃないかな。今では両親も明らかにある程度は誇りに思ってくれているよ。今でも時々、なんで稼げないの?みたいな目で見られたりするけどね(笑)。
-あなたの家系はイタリアの血が入ってるの?
ああ、イタリアに、オーストラリアに、イギリスもね。
-イタリアにはよく行く?
何度か行ったことがあるよ、もっと行きたいところだけど。向こうに移住することも考えたりするけど、まあありえないね。俺が知ってるようなロックシーンはあまりないんじゃないかな、もしかしてあるのかな?それにイタリア語も話せないしね。でも最終的には行き着くことになるような気がするんだ。
-私が大好きなバンドはイタリア出身よ。Il Torquemadaっていうんだけど知ってる?
知らないな。リンクを送ってくれよ。
-勿論よ。イタリアの文化について好きなことはある?
ほとんど全部さ!とにかく食べ物は最高だし。向こうの生活全体が、多くの点においてアメリカの文化よりもゆったりしているよね。ヨーロッパの文化全般、住民の扱い方だとかヘルスケアだとかそういったこと-人権に対する基本倫理や人々への待遇は、アメリカよりもずっと俺の感覚に沿っているよ。
-東ロサンジェルスで育って、どんな文化や音楽に囲まれていた?
俺が育った所においては、何て言うか寄せ集めだったね。インターネットがなかった頃だから、みんな何もわかっていなくてさ。手に入れられる曖昧な情報にしがみつくしかなかった。レコードを聴かせてくれる兄か何かがいない場合は特にね。レコード屋で骨折り損をするしかないんだよ。レコード屋に行って、まあ友達に何か言われたとかジャケットがいけてるとか・・でも、あれは発見の時代の全盛期だったよ、最近はほぼないからね。何かを発見し、それが自分にとって本当に大事なものになるのさ。
奇妙だったのは、東ロサンジェルスの俺が住んでいた町は、南パサデナに隣接したハイランドパークって所で・・・南パサデナはほとんどが白人の、金持ちばかりの地域なんだ。1957年って感じなんだよ。ソーダファウンテンとか、アメリカ文化満載って感じの-Back To The Futureみたいな所だよ。俺は金持ちの奴等と一緒に南パサデナの高校に通ったんだ。いい学校に行けるようにって、家の住所をごまかしてさ。俺が住んでいた所はもっとヒスパニック系の奴等が多くて、そういう奴等はギャングスター・ラップやスラッシュメタル、あるいはやたら速くてヘヴィーなパンクのどれかにはまっていた。バックヤード・ショウによく行ったもんだよ、そんなのばっかりだった。誰かん家にでかい庭があれば、バンドを用意して、さあやろうぜ!ってね。
近所の奴等は既に目を付けられていたから、警察もしばらくは様子を見てるんだけど、警官達がやって来る前にいくつのバンドが観られるだろうっていうのがお楽しみなんだよ。 大抵5つか6つだったな、何故なら全部パンクバンドだったからね、全部速い音楽さ。多分みんながやたら速く演奏したり曲がやたら短いのは、迫り来る警官達の存在が関与してたんじゃないかと思うよ。ステージに上がって、やるだけやったらステージから降りて、また別の奴が演奏して・・そんな感じさ。
-あなたは音楽を作る上でGuns N’ Roses、Born AgainstやCaptain Beefheartに触発されたらしいけれど、そういう特定のアーティストがあなたを触発したものとは何だったの?
俺にとってのGuns N’ Rosesというのは、それまでに色んな音楽を聴いてからだね。俺が彼等に興味を持つには、まだすごく若かったからさ。DJ Jazzy Jeff & The Fresh Princeの「kid rap」やMichael Jackson、正にメインストリーム全盛の時期で、俺は子供だったし知らなかったんだ、他にどんな音楽があるかってことを教えてくれる兄もいなかったしね。俺がロックに興味を持ち始めて、それを探求しようとし始めていた頃に、地元のラジオ局でGunsがかかって-俺はDef Leppardのテープなんかを持っていて、確か12才だった、全てのことが起こり始めた時にね。Gunsはどこよりも先にLAでビッグになった。俺は「Welcome To The Jungle」をラジオで聴いて、それが彼等の曲だとも知らなかった、DJは何も言わなかったんじゃないかな。でも俺はそれがGunsに違いないと思ったんだ、見た目通り音もクールだぜ、ってね。クリスマスにギフト券を貰うと、俺は彼等のテープを買いに行って、そしてそれは俺がそれまで学習して来たことをその瞬間にその場ですっかり終了させてしまったよ。俺はテープを100万回も聴いて、母親に4・5回は捨てられたね。そして俺はレコード屋に行ってまたテープを買い、家に持って帰るのさ。
Born Againstは高校生の時にはまったね。当時はずっとパンクロックを聴いていたけど、彼等のメッセージやサウンドは本当に・・・ハードコアパンクという意味では、本当にパンクロックを超えていると思えたんだよ。彼等を聴き、そしてはまってから、その手の音楽はもうあまり聴かなくなった。そんな風に好きになれた最後のバンドだね。とにかく最高だ、それだけだよ。
Beefheartはその少し後だね。それまで他のものに向けていた愛情が全部持って行かれたし、ロックはアートになり得る、それもインテリの美術学生でなく、不毛の地に住む負け犬であってもそれが出来るってことを教えてくれた。ロックとアートの境界を越えることが出来るってことをさ。
-どのようにしてパフォーマンスをするようになったの?最初のギグについて聞かせて。
すごく若い頃からパフォーマンスを始めたよ、楽器さえ弾けない頃からね。弾けるかどうかなんて気にしなかった。楽器をわかろうともしない友達を説得してさ、Wild Thingみたいなタイトルの下らない曲をプレイしてたんだ。俺達の楽器から音が出せれば何だっていいのさ。初期のパフォーマンスの一つを憶えてるんだけど、ベースプレイヤーの親のガレージでやったんだ。学校の奴等をみんな呼んで、ライトをセットし10曲を練習して・・・ドラマーが直前になって怖じ気付いちゃってやって来なかったんだよ。俺達はそこにいて全てのものを準備して、友達みんなの前でプレイ出来ることに本当にわくわくしていて、間もなくみんなやって来るはずだった。
俺は向かい側に住んでいる高校生がドラムをやるって聞いていたのを思い出して、知り合いでさえなかったけど、彼の家まで行って言ったんだ、「実はさ、友達みんな観に来るのに、俺達のドラマーが来ないんだよ、君がプレイしてくれない?」彼は「いいよ、何の曲をやるんだい?」俺達は練習さえしなかったけれど、全曲やってのけたんだ。最高だったね!
http://www.collapseboard.com/features/interviews/joe-cardamone-icarus-line-the-collapse-board-interview/
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